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モザイク年表
年代  場所  解説
前3000年代 シュメール文明、ウルクの神殿の柱 ベルリン、ペルガモン美術館所蔵
神殿の壁に半分めり込んだ格好の円柱の表面に、円錐状のチョーク型の粘土の棒が埋め込んである。
ウルクは古代オリエント都市文明の代表的都市。
前2000年代



ウルのスタンダード

大英博物館蔵
シュメール初期王朝の都市国家ウルで発掘されたもの。台形の箱の片面に「戦争の図」、反対側に「平和の図」が描かれている。ポータブルなサイズなので、軍隊の行進の際に軍隊の役割を誇示するモニュメントとして持ち運ばれたものではないかといわれている。「スタンダード」というのは「軍標」の意味。

モザイクの起源
前4世紀 ペラの玉石モザイク ペラはマケドニア王国の古代都市でアレキサンダー大王の生誕の地。豊富なグラデーションの玉石を駆使して、写実的な表現を実現している。玉石というと単純な模様の敷石をつい思い起こしてしまうが、ここの作品は別格。
玉石は丸いので、線を表現するにはちょっと不向きである。そこで鉛の線やテラコッタの棒を併用して線を強調している。
前323年  ヘレニズム時代の始まり  アレキサンダー大王死去の年からプトレマイオス朝エジプトがローマに併合された前30年まで。
前3世紀

大理石モザイクの誕生
この時代、ギリシア世界で大理石の四角いピース(テッセラ)を用いたモザイク(opus tessellatum)の制作が確立されたらしい。石のピースを並べて模様を描くなどの作例は相当以前からあったようだが、四角いピースを用いて絵画的なイメージを描き出す手法が確立されたのがこの時代らしい。発祥地はマケドニアともシチリアとも北アフリカとも言われているが決定的な意見はない。
色々な場所で同時発生的に誕生したという意見もある。それが正解かもしれないと私は思う。

シチリアの僭主ヒエロンがエジプトのプトレマイオス三世(在位前246-221)に船を贈呈した。その船にはイリアスの物語が描かれたモザイクがあったという記録が残っている。
前2世紀 ペルガモンのソソス 現トルコのペルガモンで活躍したモザイク作家
アサロトス・オイコス(食事の後の散らかった、掃除されてない床を描いた作品、多くの模倣を生んだ)、水盤の鳩(水盤をキリスト教に喩え、その水を飲む鳩を信者に喩えて、やはり多くの模作を生んだ)のモザイクで有名。彼のオリジナルは残っていない。
(ローマのカピトリーノ博物館蔵の作品がオリジナルという説もあるようだ。Villa Adrianaで発掘された作品。)
前122 カルタゴの陥落 ローマ帝国はこの年北アフリカのカルタゴ(現チュニジア)を征服しローマの植民市を作った。ローマ本土でのモザイク制作が低調なときも、5世紀までこの地でモザイクが栄えた。チュニスのバルド美術館には大量の作品が収蔵されている。
前146 ローマにモザイクが紹介された 「博物誌」を著したプリニウスによると、この年ギリシア都市のひとつコリントを侵略したローマの執政官が多くの美術品をローマに持ち帰り、そのなかにモザイクも含まれていたという。その後カピトリーノの丘のジュピター神殿にモザイクが作られ、それがローマにおける最初のモザイクだ、との記述がある。
前80 パレストリーナの「ナイル川モザイク」 ローマ近郊。ローマ駅前からバスで1時間半のところ位置するパレストリーナ。ここの博物館にナイル川の氾濫を描いたモザイクがある。アフリカの風物、特に動物が描かれている。安定感のある構図、的確な描写、丁寧な仕事。
前20 オスティア・アンティカのモザイク群制作開始 ローマ近郊、ローマ中心地から地下鉄で30分ほどの遺跡。古代の軍港の活気を今に伝える。市場の床に各店の職種を表す絵柄の白黒のモザイク群が有名。
50 ポンペイの「イッソスの戦い」 原画は前4世紀のギリシアの女流画家。縦317m、横5.55m。前333年アレキサンダー大王とペルシャのダレイウス三世のイッソス川での戦いが描かれている。アレキサンダー大王がペルシャ帝国を破った歴史的な戦闘。精密な描写、背景のピースでさえ3mm角という細かさ。これがポンペイの「牧神の家」の食堂の床全面に設置されていた。贅沢。モザイクの最高傑作とする人も多い。ナポリ考古学博物館蔵。この博物館には他にもポンペイのモザイクやフレスコ画が数多く収蔵され、いわば壁画の宝庫。
2〜3世紀  トルコ、ゼウグマのモザイク  トルコ、ガズィアンテップという町の郊外にゼウグマというヘレニズムの町の遺跡がある。この町にユーフラテス川を渡る橋があったので、シルクロードの出発点として栄えた。
1980年代から90年代にかけて大々的な発掘が行われ、大量の床モザイクが出土した。そのほとんどはガズィアンテップにあるゼウグマモザイク美術館に収められている。2011年に作られた美術館で、面積でいえばモザイク美術館としては世界一だそうだ。
美術館の目玉は「ジプシー娘」名付けられた、少女のモザイク。ジプシーではなく、ギリシア神話の神ガイアの肖像とする説があるそうだ。12o角ほどの大理石のピースを緊密に組み合わせてありデッサンの狂いも少なく、破損も少なく、とても質の高いモザイク群。展示にあたっては当時の部屋の壁を移設するなどして、空間の雰囲気も分かるようになっている。
3世紀 ピアッツァ・アルメリーナのヴィッラのモザイク 3500uにおよぶ床モザイク。アフリカの狩猟図が描かれている。その広大さから皇帝または動物の貿易商の別荘ではないかといわれている。
4世紀初頭 イタリア北部、フリウリ州
アクイレイアの聖堂の
床モザイク
初期キリスト教時代ではヨーロッパ最大の規模の床モザイク。
魚や釣り人の姿が、生きいきと描かれている。
4世紀初頭 ローマ、サンタコスタンツァ廟 ドームの周囲の周歩廊のヴォールト天井のモザイクは有名。キューピッドがぶどう酒つくりをしている光景が描かれている。
313年 ミラノ勅令 ローマ皇帝ガレリウスが死の直前に出したキリスト教に対する寛容令を受けて、共同統治帝コンスタンティヌスとリキニウスによってミラノ勅令が出された。
これによってキリスト教は布教の自由を得、この後ローマ帝国の国教となるまで発展する。
330年 ビザンティウムをコンスタンティノープルと改称 コンスタンティヌス帝がローマ帝国の首都をビザンティウムに移し、コンスタンティノープルと改称した。現在のイスタンブール。
この同じ年ローマのサン・ピエトロ寺院の建設が始まった。

395年にはローマ帝国は東西に分かれた。
4世紀 アギオス・ゲオルギオス聖堂
ギリシアのテサロニキにある。テサロニキは長くマケドニアの首都だった町。
内部の装飾は殆ど剥落しているが、かろうじてモザイクの一部が残っている。
金の背景に想像上の建築物が描かれている。質は高い。
 5-6世紀  ラヴェンナの初期キリスト教
建築群
 この時期にに建てられたラヴェンナの初期キリスト教建築群は世界遺産に登録されている。
ビザンティン芸術もここから始まり、ラヴェンナのモザイク群はその最初の傑作として
評価が高い。
ラヴェンナは西ローマ帝国最後の宮廷があった街だが、東ローマ帝国崩壊後は戦略的意義もなかったことが、モザイクの保存には幸いした。
430 ローマ・サンタマリアマジョーレ教会のモザイク この教会のモザイクはピースの割り方が粗く大きい。天井に近いところが特にその傾向が強い。目からの距離を計算に入れて、細かくするより、あえて大きいピースを使ったほうが効果的と判断したのではないかという説もある。
476年 西ローマ帝国滅亡 395年にローマ帝国は東西に分裂した。西ローマ帝国は476年に滅亡。ラヴェンナはローマ帝国最後の宮廷があったところ。アドリア海に面して、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルとの交通にも便利。
6世紀
ビザンティン美術の確立
クロアチア、
ポレック市(Porec)
バシリカ・エウフラシウス

Basilica Eufrasius。
ユネスコの世界遺産に指定されているとのこと。この時代のものとしては最高の保存状態らしい。バシリカの内陣の壁、丸天井にキリストとその使徒のモザイクがある。典型的なビザンティン様式のモザイク。
532 コンスタンティノープルのアヤ・ソフィア寺院建立 内部にモザイクが作られたが、イスラム教徒に占領されたときに漆喰で塗りつぶされた。近年漆喰を剥がしその下のモザイクが見られるが大部分は壊されている。聖堂は360年に第1次の建設が開始されたが、焼失したり、円蓋が崩落したりして何度も建て替えられた
かろうじて残されたモザイクは傑作ぞろい。
705 ダマスクスの
大モスクとモザイク
このころより初期イスラム美術の時代。
このモザイクについては、重要な作例という以外の情報を持っていない。
726〜843 イコノクラスム(偶像破壊) この時期偶像崇拝を嫌う動きが強くなり、モザイク壁画も相当破壊された。
787〜797と11世紀 テサロニキ
アギア・ソフィア聖堂
テサロニキには素晴らしいモザイクが残されている。それぞれに破損しているが。
11世紀初頭
〜12世紀
マネスク芸術の時代
1037年 キエフ、サンタ・ソフィア聖堂 ロシアにおける一番古いモザイクの作例。
ギリシアのモザイク職人の制作。
11世紀 リシア・ダフニ修道院
ここのキリストのモザイクは1999年の地震で傷んだので、修復された。
画像は無事だったが、表面の凹凸が失われ、表面が平坦になったのが残念。
世界遺産。キリストの下部にある天使たちの表現も卓逸。
目からだいぶ高い位置に設置されているのに、5ミリ角のテッセラを使って綿密に描いてある。
肌の色は大理石、それ以外はズマルト。
11世紀 オシオス・ルカス修道院 聖人たちの綿密な表現、良好な保存状態。これも世界遺産。
1094 ヴェネツィアの
サン・マルコ寺院建立
最初の聖堂は830年代に建てられたが、976年に火事にあって再建立された。
1063年に再建が開始されて1090年代に完成したのが現在の聖堂。しかしその後も改修されている。
内部は金をふんだんに使用したモザイクで蔽い尽くしている。モザイク職人はコンスタンティノープルから呼び寄せられたらしい。
ここのモザイクはヴェニツィア派の画家が原画を描いたりしてなにかと面白い逸話がある。
1142〜43
シチリア・パレルモ
カペッラ・パラティーナ
この建物はシチリアを支配したノルマン王朝のルッジェーロ2世の宮廷付属教会として建てられた。
内部のモザイクには金がふんだんに使われ豪華。
1163〜65 イタリア、オトラントの大聖堂 教会の床全面を覆うモザイク。
オトラントにある修道院 S. Nicola di Casole のパンタレオーネという修道士のもとで作られた。彼の名前はモザイクに残されている。
テッセラの形が不定形で、並べ方も雑然としているのが特徴。しかし表現は柔らかく、一見拙いようだが、じつはしっかりしたデッサン力に支えられ、安定感のある画面構成がされている。
1175〜90頃 シチリア・モンレアーレ
大聖堂
7500〜8000uのも。ノルマン人が建てた。
壁の全面がモザイクで覆われている。
12世紀前半
〜15世紀
ゴシック芸術の時代
1204 コンスタンティノポリス陥落 ヴェネツィア共和国が出資した十字軍がコンスタンティノポリスを征服してしまった。その辺の事情については私は調査不足
多くの美術工芸品が略奪された。多くはヴェネツィアに運ばれた。中でも「コットン創世記」という写本は高い評価を受け、サン・マルコ寺院の壁のモザイクの原画に選ばれた。1220年代のこと。

この略奪によって、多くの美術工芸品が西ヨーロッパにもたらされて、ビザンティン芸術の高い水準が多くの人に知られることになった。
1261 コンスタンティノポリスの奪回 ミハイル8世によって奪回された。ふたたびビザンティン帝国の繁栄が続く。
12,13世紀 コズマーティ ローマで活躍したモザイク職人、石工の一族。
古代のモザイクを研究し、独自のスタイルの床モザイクのデザインを作り出した。
13,14世紀 フィレンツェ、サン・ジョバンニ洗礼堂 フィレンツェのドゥオモの脇に建つ8角形の洗礼堂。ギベルティとブルネレスキが扉のレリーフのデザインを競った話は有名。この建物の天井にすばらしいモザイクがある。暗い空間に入って、天井を見上げると、黄金のテッセラを背景にした鮮やかな画像が飛び込んでくる。旧約聖書のエピソードと聖ヨハネの生涯が描かれている。
製作開始は1225年頃と考えられ、完成までに75年くらいかかったようである。さすがフィレンツェ。画面構成、人物の描写ともに秀逸で安定感がある。
1453 コンスタンティノポリストルコに占領され、ビザンティン時代の終焉 アギア・ソフィア聖堂はモスクに改造され、モザイクはあるいは壊され、あるいは漆喰で覆われた。
ビザンティン帝国の終焉である。
17世紀 サンピエトロ寺院の絵画をモザイクに置き換える 法王ウルバヌス8世の指揮の下、ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院の内部を飾っていたラファエロたちの油絵がモザイクに置き換えられた。
このモザイクは何千色もの色味のズマルトを隙間なく並べ、表面を平らに砥石をかけて、絵画と見まがうばかりの仕上がりである。実際、光の反射を利用しないとモザイクのテッセラを見分けることができない。超絶技法というべきか、モザイクの屈辱というべきか。
モザイクの耐久性のみが認められ、表現技法としては絵画の模写以外の可能性を認めてもらえていない。
18世紀 ロシアのモザイク再び 1703年ピョートル大帝がサンクト・ペテルブルグの都市の建設を開始した。
何もない沼地に大都市を築いた強引で、荘大な事業だ。
その時代にミケーレ・ヴァジレヴィク・ロモノソフ(1711〜1765)がズマルトを自作し、モザイクを見よう見まねで作ってしまった。彼の作品はサンクト・ペテルブルフのエルミタージュ美術館のピョートル大の肖像や科学アカデミーにある「ポルターヴァの戦い」(7×5m)などが残されている。
1875年 パリ、オペラ座 これはモザイク再生のきっかけとなる非常に重要な建物だ。
建築家シャルル・ガルニエがパリ万博で知り合った、イタリア人ジャンドメニコ・ファッキーナにモザイクの制作を依頼した。
ここのモザイクのキーポイントは、いわゆる紙張り技法だが、これはファッキーナの発案によるものとする記述もあるが、
当時すでに修復に使われていた技法らしい。
工房で並べたモザイクを紙に張って、現場に持ち込む方法。これによって工期、費用が大幅に節約されたので、実現した。
ファッキーナのほかにアントニオ・サルビアーティというモザイク職人も制作している。この人がまた上手い。
このオペラ座のモザイクは大評判になり、パリを中心にフランスでモザイクブームが起こった

ファッキーナの紙張りは建築空間という舞台をモザイクに取り戻したという意味でも重要な出来事だった。
ズマルト製造の分野ではヴァチカンを筆頭にヴェネツィアのオルソーニなどで技術が向上していく。
しかし、この時代のモザイクは相変わらず絵画の模写に甘んじていた。

ちなみにこの前年1874年にモネの「印象-日の出」が発表された。
1887〜1894年 イタリア、キウージ
(chiusi)のカテドラル
驚くべきことに、この教会の中の壁にはモザイクが描かれている。小さい壁ならいざ知らず、かなりの面積に描かれている。テッセラのひとつひとつを絵具できちんと描いている。1887年から1894年にかけて、シエナの画家アルトゥーロ・ビリアルディという人が初期キリスト教時代のモザイクのデザインを真似て描いたそうだ。一体なにがその人を駆り立てたのだろう。
 1896年  文京区、岩崎邸 岩崎久弥の屋敷。ジョサイア・コンドルの設計。ベランダ、玄関の床などにタイルモザイクが施されている。磁器タイルはイギリスのミントン社のもの。
1900年代 モザイク作家の輩出
20世紀に入ると、職人ではなく作家意識を持ったモザイクアーティストが輩出する。そのきっかけを作ったのが、パリで活動していたイタリア人のジーノ・セヴェリーニという未来派の画家。モザイク表現の可能性を見出し、広める役割を果たした。1922年にはジャンドメニコ・ファッキーナの地元スピリンベルゴにフリウリモザイク学校が創設され、同じ年にラヴェンナの美術アカデミアにはモザイクコースができた。1959年にはラヴェンナモザイク学校が設立された。
 1900〜1914
 グエル公園
(スペイン)
有名なガウディの作品。建築家としての三次元の造形が素晴らしく、モザイクはその表面をきれいに飾っている。
モザイクとしては、単にタイルをランダムに割って張っているだけで、見るべき技術はないのではないか。
作品が傑作であることはいうまでもない。
1908 東京国立博物館表慶館床 明治以降日本で作られたモザイクは多かっただろうが、ほとんど残っていない。
そんな中でも、ここのモザイクは無事に残っている。設計は片山東熊。幾何学的な単純なデザイン。
ただし、度重なる修復を受けている。
素材は磁器タイル。オリジナルのモザイクは石灰しっくいを用いて施工されていた。石灰と大理石粉とレンガ粉を混ぜて厚く敷き詰めた漆喰でテッセラを固定してある。修復には漆喰ではなく、セメントを使った。オリジナルの漆喰と修復のモルタルが併用される格好になったわけだ。柔らかい漆喰の上に硬いセメントを敷いたから破損しやすい。
オリジナルの施工を指揮したのはフランスのモザイク職人で、日本の左官職人を訓練して手伝わせたという記録を読んだ記憶がある。
1909 赤坂迎賓館 表慶館の翌年に建てられたこの建物の設計も片山東熊。
床モザイクがある、いう情報は得ているが、私は実物を見たことがない。
年に数回内部を公開しているとのことなので、ぜひ見なければいけないと思っている。
 1931  近三ビル  エントランスホール天井にガラスモザイク。大氣社、奥村新太郎のデザイン。制作はドイツのヴィルレイ・ボッフ社。建築は村野藤吾、独立後の初仕事だ。
1933  朝香宮邸(現東京都庭園美術館) ここの床モザイクはアールデコ風のデザイン。
 有楽町、日劇ビル  川島理一郎下絵、板谷梅樹モザイク制作、タイル、陶磁器、ガラス使用
板谷氏はこの後もモザイクを作り続け、工芸作品を日展に出品し続けた。
父の陶芸家板谷波山は文化勲章受章者、
1934 ライオンビヤホール
銀座7丁目店
建物全体を設計した菅原栄蔵氏のデザイン、制作のモザイク。
日本製のズマルトを使用。ズマルト製造は大塚喜蔵氏
、近三ビルのモザイクデザインをした奥村新太郎も、どういう形が不明だが、関わっている。
ヨーロッパの伝統的な写実的なモザイクを初めて日本に紹介した。その志は特筆物。
銀座7丁目の角にある。モザイクの壁画があるのは一階奥。
日本のモザイクの作例としてとても貴重な作品。
1938 ローマ、
フォロ・イタリコの
モザイク群
ローマオリンピックの会場となった競技場には約8000uにも及ぶ床と壁のモザイクがある。
原画制作はジーノ・セヴェリーニ、アンジェロ・カネヴァーリ、アキッレ・カピッツーノ、ジュリオ・ロッソ。設計はモレッティ。
床モザイクはローマ風の白黒モザイク。白はカラーラ、黒はヴェローナの黒大理石。
ローマ帝国の威風にあこがれたファシストの権威を誇ったモニュメント。
1948  グルッポ・モザイチスティ
(Gruppo Mosaicisti)
ラヴェンナのアカデミア出身のモザイク作家9人のグループ。戦争で破損したモザイク群の修復が第一の目的で結成されたが、それ以外にも質の高いモザイク作品を作って、モザイクアートの価値を高めることを目指した。国の内外の注文を集めて活躍した。
後にイタリアのモザイク界をリードする俊英たちが集まった。
 羽田空港モザイク  米軍占領下、羽田空港ターミナルに生沢朗の下絵によるタイルモザイク壁画。「タイトルは「平和の女神」
1945年の戦後日本でもモザイクの専門家が現れ、モザイク壁画が日本人の手で作られるようになる。
最初の作品がなんであったか特定するのは難しいだろうが、この作品は最も初期の作品であることは違いない。勿論残っていない。
1952 矢橋大理石が大理石モザイク壁画の制作を開始 岐阜県大垣市にある矢橋大理石(旧矢橋大理石商店)は当時日本一の石材商だった。
そこの副社長の矢橋六郎氏は東京芸大で洋画を学び、後に同校の講師をした。
実家にふんだんにある大理石、そして大理石モザイクの知識、画家としての素養などを背景に大理石モザイクの壁画を作り始めた。自ら原画を描き、また友人の山口薫の原画をモザイクにするなど多くの壁画を制作した。美大の学生などがアルバイトに呼ばれ、そこで大理石モザイクを覚えた人も多く、重要な役目を果たした。
矢橋六郎氏自身は制作を監督したが、モザイクの制作に手を下してはいない。
1957 テッセラ製造開始

近代モザイク社設立
この年岩城硝子に勤めていた小柴外一が、「テッセラ」という名称のガラス素材を開発しモザイク制作を開始した。このテッセラという名称の商品は建築家村野藤吾の読売会館の装飾のために、氏の希望を受けて作ったもの。海岸を探索し、石の割り面の石膏型を取った。その型をガラス表面のテクスチャーに採用してできたのが「テッセラ」である。

近代モザイク社も同年にできた。こちらはイナックスのタイルを主力に主にタイルモザイクを作った。1970年代に火事に会って不遇の最後となったが、この会社を出発点にモザイクを続ける人を多く輩出した。
 1958  ガラスモザイカ販売設立  (有)小柴硝子工芸研究所設立(のちのガラスモザイカ販売)2005年に営業を終了。テッセラという名称のガラスピースを使って壁画を作り、2000点近くの壁画を作った。テッセラは岩城硝子が製造した。
1960
F・M壁画集団発足
武蔵野美術大学で長谷川路可の指導のもと、壁画を研究するグループが結成された。
フレスコ、およびモザイクの技法を実地を通して研究することを目指し、毎年モザイク展を開催し、実際の壁面への施工も行うなど日本におけるモザイク壁画の発展に大きく寄与した。
10年間の活動ののち、長谷川氏の死去とともに解散したが、その参加者は以後日本のモザイクおよびフレスコ壁画の活動において指導的な役割を果たした
1960 繊維輸出会館 下絵・堂本印象  モザイク制作・ガラスモザイカ販売
1961 戸田ビル(旧・新八重洲ビル) 下絵・山口薫 モザイク制作・矢橋大理石
この前年、松田平田設計事務所のエントランス階段側壁に同じコンビのモザイクが作られた。制作を担当したのは、勝呂忠と執行正夫の両氏。試行錯誤しながら、定型の正方形を並べる古典的なモザイクではない表現を探した。その結果大小のテッセラが混在し、凹凸のある独特の技法が確立された。翌年のこの戸田ビルの物件に、技法として十分にこなれた状態で制作された。ビルの再建築に伴ってモザイク壁画は戸田建設の研修施設「TODA Innovate Lab」に移設された。
東洋学園大学 下絵、制作・今井兼次
制作にあたっては、生徒たちに呼びかけて陶磁器を集めた。
皿、急須、火鉢などを大きく割って、ダイナミックに組み合わせた。
下絵もうまい。今井氏は絵もうまい。
建物は数年前に改築されたが、この壁画は同窓生の願いがかなって、壁ごと保存された。
1962  日本26聖人殉教記念施設 今井兼次氏設計の施設。塔、外壁、内部各所にタイルモザイクがある。すべて氏のデザイン、指揮で作られた。
この陶片モザイクを氏は「フェニックスモザイク」と名づけた。捨てられる運命の陶磁器をモザイクに再生するという思いが込められている。
早稲田大学で長年教壇に立ち、ガウディやシュタイナーなど、当時は注目する人の少なかった作家の紹介にも力を注いだ。
建築にもモザイクにもガウディの影響が見られる。
東京藝術大学でモザイクの実習が始まる。 矢橋六郎が東京藝大でモザイクの実技の実習を開始した。数週間の短期の授業。
1960年にフレスコ研究室が学部に、63年に大学院に開設された。初代教官は島村三七雄。氏はパリに留学しフレスコの技法を学んできた。
1969年に壁画研究室と改名された。
1963 日生日比谷ビル 1階の床モザイクは矢橋六郎の下絵と指揮のもとで作られた。長谷川路可が制作者として名前を記されているケースがあるが間違い。私自身も間違えたことがあって大いに反省している。
劇場の壁はガラスモザイカ販売の制作
1964 新宿駅東口地下連絡通路 下絵・佐治正  モザイク制作・佐治氏のスタッフとガラスモザイカ販売
佐治正(本名・賢使)多治見出身の漆工芸家。多彩な技法の作品で知られていたようだ。
平成7年文化勲章受賞。
1965 東京交通会館 矢橋六郎「緑の散歩」矢橋氏の代表作のひとつ。
1966 目黒区役所
(旧・千代田生命)
モザイク・作野旦平
建築は村野藤吾氏設計の名建築。生命保険会社の本社ビルとして作られたが、同社の解体後、目黒区が買い取った。
モザイクは三階南口エントランスホール天井の明かり取り周りを飾っている。
1967 ニース大学法学部 「ユリシーズとナウシカ」シャガール原画のモザイク。シャガールの絵はモザイクに似合う。
モザイクに置き換えた時、線や色面の表情が、絵具で描かれていたときより、鮮やかで豊かになっている。シャガール美術館にもアポロがテーマのモザイクがある。チャンスがあったら見逃してはいけない作品。とにかく素晴らしい。傑作。Lino Melano というラヴェンナ出身の腕の良いモザイク作家が制作を担当している。その腕もあっての仕上がり。
1968 八重洲ダイビル モザイク・作野旦平
1969 ウェスティンナゴヤキャッスル 下絵・脇田和 モザイク制作・近代モザイク(現在は西陣織の装飾壁に覆われていて見られない)
とても質の高い素晴らしい作品だが、残念なことに接着剤が劣化した。
ホテルの改築に伴って壁画も撤去された。全体を保存することは不可能だったので、いくつかの箇所をパネルに移して残し、多治見のモザイクタイルミュージアム、イナックスァイブミュージアムなどに寄贈された。
  東京藝大壁画研究室開設  同大学のフレスコ研究室が壁画研究室に改編改名された。
これによってモザイクをフルタイムで指導、制作できる場ができた。大学の組織として貴重な場だ。近年、仙台の東北生活文化大学でもそういう環境が整ったようだ。それ以外の美大では短期間の実習は可能でも、年間通してモザイク専門に制作ができる環境はないようだ。
1974 みずほコーポレート銀行
(旧・日本興業銀行)
モザイク・作野旦平
地下一階の貸金庫室の入り口付近の壁前面がモザイク。最近建て直された。モザイクはどうなったのか。
 1980  国際現代モザイク作家協会設立
Associazione Internazionale Mosaicisiti Contemporanei
 イタリアのラヴェンナで、国際モザイク作家協会(略称AIMC)の設立総会が開かれた。
世界各国から選ばれたモザイク作家が招待され、日本からは矢橋六郎が参加した。
喜井は偶然当地に居合わせ、矢橋氏の通訳として参加した。
この協会は現在も活発に活動し、現在30か国近くの会員が在籍している。
主に二年ごとのシンポジウムを各地で開き、情報交換や展覧会を企画している。
日本でも1994年に鎌倉でシンポジウムが開かれ、それがきっかけとなって、日本にもモザイク会議という協会ができた。
AIMCはそのように各地にモザイク作家同士の繋がりを促す役割をはたしている。
 1995  モザイク会議設立  前年1994年に鎌倉で国際現代モザイク作家協会のシンポジウムが開かれた。
海外と国内からモザイク作家が集まり、シンポジウムとモザイク展を開催した。
それが契機となって、翌年モザイク会議が設立し、日本のモザイク作家の協会ができて、それまで孤立していた作家や愛好家たちが集まれる場ができた。


無断転載を禁止します。

参考資料
クリストファー・ダガン「イタリアの歴史」  創土社
「Il Mosaico-attraverso i secoli」 
「Glossario tecnico-storico del mosaico」
a cura di Isotta Fiorentini, Federica Sarasini 「Gino Severini. L'amore per il mosaico」 ,  
Federica Pirani, Simonetta Tozzi 「Severini al Foro Italico」 Fratelli Plombi Editor
ジョン・ラウデン 「初期キリスト教美術・ビザンティン美術」  岩波書店
「世界史年表」  河出書房新社
Carlo Bertelli 「il Mosaico」   Arnold Mondadori Editore 1988年
中田一郎 「メソポタミア文明入門」 岩波ジュニア新書
Felice Nittolo 「MAESTRI MOSAICISTI」 Girasole刊 2006年
「タイル名称統一100周年記念「日本のタイル100年」 2022年 INAXライブミュージアム発行
「ナゴヤモザイク壁画時代」  2021年 INAXライブミュージアム発行