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Antonio Salviati 1816年-1989年 Vicenza生まれ |
アントニオ・サルヴィアーティは弁護士だったが、職を辞してヴェネツィアに移住して、サンマルコ寺院のモザイクの修復のためのズマルトの製造に従事した。1856年にヴェネツィア近郊のMurano島にモザイク工房を開いた。のちに吹きガラスの工芸品も作り始めこちらのほうでも作品が博物館に所蔵されるなど評価は高い。
写実的なモザイクの制作に関しては群を抜いていた。パリのオペラ座のモザイクでも、ファッキーナを差し置いて、人物像のモザイクを担当しその腕の確かさを見せ付けている。その仕上がりを写真で見る限りファッキーナより技量は上に見える。
1797年のヴェネツィア共和国の終焉以降、退廃するばかりだったモザイク芸術再興の立役者として力を発揮し、技法や道具を改良した。大きな仕事場を作って、世界中から大壁面の仕事を請け負った。
彼の代表作としてナポレオン三世の肖像(原画はWinterhalter)やヴィットリオ・エマヌエーレの肖像(Carliniの原画)が有名。アレクサンドリアのVicere宮の装飾、ロンドンのサンパウロ寺院、ロンドンの議事堂、ウィンザー卿の城のWolsey礼拝堂の装飾などが知られている。ヴェネツィアのCanale
Grandeに面したBernardo宮の正面壁(Giulio Carliniの原画)。
1881年、ミラノで行われた博覧会の審査委員会の席でこういう意見を披露している。「(当時の)ローマスタイルのモザイクは、ズマルトを用いて具象的な図柄が表現される。テッセラを隙間なく平らに並べ、着色した目地セメントを詰めてテッセラの表情を消して、色面の一体感を増して絵画的効果を獲得している。」
19世紀のモザイクは、自らの素性を恥じるかのように、テッセラの姿を隠し絵画の振りをすることに必死である。
サルヴィアーティは1890年に亡くなり息子が1920年まで会社を引き継いだが、今はもうない。